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2010.6.15 日常日記

手作り味噌の味見

今年の2月に、経堂の素敵なバー・太田尻家で行なわれた「味噌づくり」大会。その後、味噌が味噌らしい色になってきたので、サッカーW杯の試合を見ながら、味見をしてみた。

もはやどちらが何味噌だったのか、忘れてしまったのだが、春先に、片方(写真上のほう)にだけカビが生えてしまって、ちょっとあせった。丁寧に取り除いて、味噌づくりサイトを参考にしながら、焼酎を塗って密封し直したら、いい感じの汁が出始めて、それ以降カビは生えなかった。ちなみに写真でも確認できる白い粉みたいなものは、カビではなく、なんかすごい良い物質らしい。なにかは知らない。コエンザイムQ10だったらどうしよう。

ちょうど八百屋さんが熱心にキュウリを売りつけていて、ついいっぱい買ってしまったので、これで味噌を食べてみる。

味は、立派な味噌味! しかも「しょっぱい」だけでは表現できない、複雑な味がした。塗った焼酎が多すぎたのか分からないけれど、片方の味噌が酒臭かったが、そっちのほうがより複雑な味で、美味しかった。翌朝、それをみそ汁にして食べてみたが、なぜか甘みがあって、市販のものと比べると断然おいしかった。

あまり量を作っていないので、今後どういう風に食べていこうか、迷ってしまう。あまり早く食べてしまうのも、なんだか勿体ないし、かといって、いつまでも食べないというのも、作った意味がないし…。

2010.6.14 日常日記

やっぱり日記にタイトルつけるの面倒だなあ。

ツイッターを始めてから2年弱くらいになるけれど、最初はただの独り言を吐き出し合う場所だったのが、いつの間にかパーティ会場みたいになっている。パーティというのは華やかな場所で、みんな景気のいい話や、ポジティブな話ばかりをしている。家に居てプライベートに過ごしていても、アクセスすると、パブリックな所にいる気分になる。これがとても疲れるので、あんまり見ないようにしようと思った。毎日パーティに参加するのは大変だ。たまに、でいい。

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感覚が外に向けて敏感すぎるのもどうなのかな、と思っている。これは人によるのだろうけれど、僕の場合は、あまりに色んなものを見すぎたり、感じすぎたりすると、食傷気味になる傾向がある。食べたものをよく消化できずに吐き出してしまうような感じだ。とりわけ芸術作品であったり、デザインであったりというものは、食べ物としては自分にとっては消化性が悪いのかもしれない。そうなるとおのずと、興味の行く先は、それこそ食べ物や、お酒、すばらしい風景や景色、身近なあそび、というものに集約されてくる。肩肘はらずに、自分の五感のうちのどこかを、激しすぎず刺激してくれるのは、僕にとってはそういうものだ。

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とはいうものの、その翌日になって考えてみると、今度は感覚が内に向きすぎるのもどうなのかな、と思った。そろそろ、確固たる自分の価値観や、嗜好などができあがりつつある。その「できあがりつつある」という感じが、どうも気持ちが悪い。できあがったら、その先、何も無いんじゃないかと考えると、なんだか恐ろしくなる。特にフリーランスで生きている人間としては、好みが合わないからと、簡単にそのシャッターを下ろしてしまうのも、自分の広がりを狭めているようで、ちょっと違うんじゃないかと思った。

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この相反するふたつの考え方に悩みつつも、現実としてはいま、僕は閉じていっている。閉じていこうとするのを無理にこじ開けようとしても、たぶんもっと強い力で締め付けようとするかもしれない。けっきょく、これに関しては、成すがままにするしかない。最近セブンブリッジというトランプゲームに凝っている。脳みそを使いながら、使わないでいるこの時間が、妙に心地よかったりする。その後ろでは、古いCDアルバムを流している。このThe Monochrome Setという人たちは何だか絶妙にチープで、絶妙にはずれているので飽きない。

The Independent Singles Collection