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2008.12.4 日常日記

ブロードキャスト

そういうわけで今朝、目覚ましをセットして「Beポンキッキ」を見てみた。昨晩、フジの人に電話をする機会があり、そのときに、今朝たしかに放映されることは確認した。ただやっぱり、放映されるまではにわかには信じられない。いつからこんなに疑い深くなったのだろうか? …そういうことを考えているうちに、いつの間にか我が「もじあるき」のオープニングが流れ出した。

映像は、流れ出したら、止まらないのだなあと思った。当たり前だが「あっごめん、ちょっとストップ」ということにはならない。プレビューの段階では感じられなかったことなのだが、ほかの「ポンキッキ」のコーナーとの世界観の差がありすぎる。出来が良いとか悪いとかじゃなく、少し放映を一時停止したかった。ちょっとひと呼吸置こうよ、それからでも遅くないんじゃない? なんて…、しかし止まるわけがない。不穏なSEが流れるたびに、心の中で「ごめんなさい」と思った。

自分の作品が流れると、やはりどうしても客観的に見ることはできない。月刊誌『KING』にイラストを連載していたときも客観的には見れず戸惑っていたが、雑誌の場合はそういう感情も自分のペースで解決できる。しかしテレビはこちらの思いとは無関係に垂れ流される。戸惑いが消えない間に放映が終わっていたという感じだ。内容がまったく頭に入って来なかった。なので、「見ている人は意味が分かっただろうか」「これは果たして成立したんだろうか」とか、そういう基本的なことの確認ができなかった。

映像内に配置したいくつかの”仕掛け”が、妙に重く(という言葉が適切か分からないけれど)感じられた瞬間があった。テレビはどこでどんな人が見ているのか分からないわけで、ひとつひとつ効果を付け足していくたびに、見るほうの解釈もひとつひとつ増えていくのだなあ、と思った。また、テレビとは”流れるもの”だということを感じた。ひょっとしたら僕たちは今回、”止まっているもの”を作っていたのかもしれない。流れるものには流れるものの作り方があるのかもしれないな、と思った。でも僕たち自身がそれに合わせる必要があるのかどうかは、何とも言えない。

とりあえず明日もチェックしてみたいと思います。