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2002.10.31 日常日記

原一男監督の講演を聞く

さようならCP 〜原一男監督アクションドキュメンタリーシリーズ [DVD]
早稲田大学で原一男監督の講演があると聞き、友人らと共に足を運んでみた。

原一男といえば、日本のドキュメンタリー映画の第一人者であり、「さようならCP」「ゆきゆきて進軍」など、たいへん強烈な作品を世に放っている方である。

作品も作品なだけに、性格が暗いうえに恐い人だと思っていたら、終始笑顔を絶やさない非常にやさしいおじさんだった。

笑顔なんだが、ときおりドキッとさせられる発言もあった。「さようならCP」では、重度CP(脳性マヒ)の人に車椅子なしで車通りの多い横断歩道を這って渡らせたり、自分で電車の乗り降りをさせたりして、結構危ない目に遭っているシーンがある。

それについて、原さんはこんな感じのことを言っていた。

「だって、撮られる側も必死じゃないと、作品がおもしろくないじゃない。撮ってるほうばかり必死じゃあつまらない。」
「この作品に関しては、僕のほうが暴力的なんです。でも、それで対等な関係が成り立っていると思う。」

これはふたつの点で僕には衝撃的だった。

ひとつは、作品を作る上で、とりわけドキュメンタリーのような分野で、被写体に能動的な意識を持たせようとしている点である。大学1年の課題でドキュメンタリーを撮ったが、被写体に時間を割いてもらっているのが申し訳ないという気持ちが先行してしまい、彼に努力させたり、作品の作り手に加わってもらおうなどという意識は微塵も無かった。ただ撮っただけだったのである。しかし原監督の言葉を聞いて、僕らの作品のクオリティがなぜ低かったのか、その理由がはっきりした気がした。

そしてもうひとつは、原さんが障害者ときっちり対等な関係を築けている点であった。仮に僕が「さようならCP」を撮ったとしても、原さんのように被写体に本気で怒ったり、注文をつけたり、無謀な真似をやらせたりはできないだろう。これは一見すると「なんて酷いことを」ということになるのかもしれないが、よくよく考えれば僕らがいわゆる普通の人間関係においていつもやっていることと全く変わりないのだ。