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2010.5.27 日常日記

新聞から考えるメディア論

朝日新聞の論壇時評の担当が東浩紀さんになってから、このコーナーが格段に面白くなった。一連の鳩山政権に関する論評と、勝間VSひろゆき対談を絡めてきたり。でも、実際にそういうふうに横断的に物事を眺めたほうが、真理を突いているような気がする。

新聞が面白くない、という、主にネットユーザーの主張があるけれど、そういうのを見ると、半分賛同しつつも、同時に違和感も覚える。毎日、新聞を読んでいる身からすると、新聞もいまの時代に合わせて、一生懸命変わろうとしている気がする。いま新聞は、自分のメディアの役割というか、アイデンティティみたいなものを問われているわけで、その中でもがいている中で、たとえば論壇時評の東浩紀の起用という流れがあったりするわけで、そういう変化自体はなかなか面白いなと思っている。

僕自身が感じる大きな変化は、最近の新聞は(ここでいう新聞は、僕が購読している朝日新聞に限定されちゃうけど)、ボリュームが増えている感じがする。気合いの入った情熱大陸みたいな、フィクションだかノンフィクションだか分からない連載とか、思想家とか批評家の論説みたいな「ニュースではない、読ませる記事」の比率が増している気がする。僕は基本的に一面から社会面まで一通り目を通すけど、10年前よりも1日で読むのが大変になったと思う。月曜日だけ挟まってる「GLOBE」は、時事批評とかコラムのみの紙面で、読むと面白いんだけど、読むのが大変すぎるくらいだ。ニュースの速報性は、ネットのほうが強いわけだから、それよりも、洞察とか論考に力を注ぐという方針は、僕は間違っていないと思う。ネットという強烈なライバルが出てきた事で、いま新聞の企画を考える人って、相当アンテナを張らせてるんじゃないかと思う。それは、突然NHKが面白い番組を連発するようになった状況と、どこか似ている気がする。誰も指摘しないから敢えて書くと、ここ数年、新聞は面白い。

けっきょく、何かのメディアを取り上げて、新聞よりテレビが面白い、とか、テレビよりネットが面白い、というのは、議論としてはナンセンスな気がしていて、所詮メディアは「仕組み」にすぎないのだから、特徴の違いというのはあるにせよ、どっちが良いとか、悪いとか、割とどうでもいい話だと思う。重要なのは、その「仕組み」をどういう風に使って、何を発信しているのか、という部分であって、「新聞がつまらない」と言われているのは、新聞というメディア自体がつまらないというよりも、「新聞を作っている人たちの、あの旧体質で既得権益にどっぷりで傲慢な感じ」がつまらないということなんじゃないのかと思う。それはテレビにも言えることで、確かに最近のテレビ番組はつまらないものが多いけれど、それは、あの映像を映す箱そのものがつまらないということではないはずだ。

メディア論が盛んな中、一方的に古いメディアが攻められている。古いメディアに、古い体質の人たちがいっぱいこびりついているのは、ある意味当然だけれども、「仕組み」そのものに悪のレッテルを貼ってしまうことは、なんというか寂しい感じがする。紙メディアや映像メディアも、面白い人たちによって、もっと面白くできる余地が相当残されていると思うし、そういう話のほうが、発展性があって楽しい。