陶芸旅行
高校の友人である庄島のおじいさんのところに、陶芸旅行に行った。メンバーは他には、獅子丸である。もうひとり行くはずだったが、緊急入院のため行けなくなってしまった。前夜から、庄島の家に3人で泊まった。
翌日の早朝4時半頃に無理やり起きて、車で出発。運転は、ペーパードライバーの獅子丸に無理やり任せる。「無理だよ、無理だよ」を連発しながら、一般道から東名高速まで走ってもらう。途中で降りたインターでの富士山が綺麗だった。途中から庄島が運転し、そのまま三重県の松坂市へ。松坂市といえば、松坂牛である。そうすると当然、松坂牛を食べる。
これが、あまりにうまい。もう、言葉では表現できない。そして、値段も凄まじかった。ここでは書けない。そうこうしていると、庄島のおじいさんの工房に到着。薪を割ったりしたあと、ぐい飲みなどを作り始める。作り始めると、もう自分の世界に突入する。
とかく、自分の制作に関する悩みが深くなると、今回の陶芸のように土をいじるとか、そういう創作の原点である行為をするということが、自分にとってなにか有益な結果をもたらすのではないかという気がしてくる。僕は土をいじりながら、美大受験で、とりわけ芸大デザインの2次試験の土はこんなやわらかさだったなぁと思い出した。それで記憶はもっとさかのぼって、小さいとき、砂場で土いじりをしていたことや、海辺で土団子を作ったりしたことなんかも出てきた。
土をいじるということは、その行為自体に価値があるというよりも、それをいじっているときに何を考えているかとか、何を想像しているかとか、そういうことがおもしろいんだなぁと思った。なかなか映像というのは客観的なメディアで、制作しているという「実感」は、土いじりをしているそれとはかなり質を異にしていると思う。
夜は星空のもと、火をくべて、竹を切ってそれに日本酒を入れて熱燗にしたり、そんな感じで過ごした。
陶芸の工房は大自然の中にあったわけだが、やはり自然というのは人にものを考えさせてくれるのだろうか。というか、考えるしかすることがないというべきか…。
そういう意味で、自分は未熟なんだなぁと思った。つまり、まだまだものごとをきちんと考えられていないんだなぁと。安易な想像はできるけれども、芸術の場合は想像することを追求する分野だと思うから、つまり芸術的にも未熟なんだなぁということに繋がっていった。ネガティブと思うかも知れないけど、自分としてはポジティブな発見だった。