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2011.1.27 日常日記,

ツレがうつになりまして。と、焼肉。

昨夜はお義兄様夫妻と一緒に、永福町の竜王という焼肉屋さんで夕食をとった。かつて永福町に住んでいながら、この焼肉屋さんは行ったことがなかったけれど、美味しかった。特に、大好物のせんまい刺しがおいしかった。店も定食屋みたいな雰囲気がとても良かった。

ツレがうつになりまして。 その後のツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)
別に映画になるというのは関係なく、図書館で「ツレがうつになりまして」を借りて読んだ。元気いっぱいの真面目なサラリーマンだった夫が突然うつになり、闘病する過程を、漫画家である奥さんが描く。けっこうおもしろかった。正直、あんまり相手のことを「ツレ」と言うことは好きじゃない。でもこの本の場合は、「ツレ」という言葉がすごく効いているなぁと思った。「夫がうつになりまして」だと、たぶんこの漫画の敷居がぐっと高くなる。「家長がうつになりまして」はもっといけない。いや、家長だったら逆に敷居は下がるか。

奥さんがいい具合に鈍感というかマイペースで、それもまた、好感が持てる。彼女の接し方は医学的に正しかったことも、間違ったこともあるみたいだけれど、最初から専門家という人はめったにいないわけだし、誰しもがおどおどしながら、うつの人と接することになるわけで、そこのところに正直だったことがとても良かった。

読みながら、この本が映画になるというニュースを聞いて、うつになる夫の役は誰だろう…とか考えていたけれど、個人的には、SMAPの香取慎吾さんが「ニンニン」と言っているシーンから始めたらいいんじゃないかと話していたんだけれど、妻に「そういうことは電車の中で言ってはいけません」と怒られた。

2011.1.26 日常日記

表現の自由

仕事はとりあえず第一ステップをのぼったという感じで、少し落ち着いた。やっぱり引き出しが少なくなっているかなーという感じもする。

思想地図β vol.1
思想地図βという雑誌を買ってみた。好きな作家・批評家である東浩紀氏が編集長の雑誌。こうした活動のために、賛同者を募って自分で会社を作って、流通経路もtwitterなどを駆使して自分で開拓して発行したらしいけれど、ものすごい勢いで売れているらしい。彼のTwitterアカウントをフォローしているけれど、とにかく既存の批評メディアに対する嫌気みたいなものがあるらしく、自分の表現したいことを、当たり前のように表現できる場所を探していった結果、「自分で作る」という行動に行き着いたらしい。

思った以上に分厚く、文章を読むのがとても遅い僕には、ずいぶん長い時間がかかりそうだ。巻頭の、東京都の「非実在青少年」に関する条例についての東浩紀+村上隆+猪瀬直樹の対談だけ読んだ。この話は、要するに性的描写を含んだロリコン系の表現は、青少年に害悪だから規制しておきましょうという内容だと報道されていたので、「表現の自由」の侵害だとか何とか、昨年からずっと議論になっていた。

対談で猪瀬副都知事の説明を読むと、なんだこの問題は、「ロリ商品は棚を分けましょう」と言っているだけで、表現の規制でも何でもないことが分かって、けっきょく本質的な問題は、条例そのものというよりは、この条例によって副次的に発生する問題(出版社側が自主規制しちゃうとか、誰がどうやって有害図書を決めるの?ということだったりとか)のほうなんだということが分かった。大騒ぎしていた割には、「なーんだ」という感じ。でも、東浩紀氏がTwitterで言っていたけれど、今までこの話題に関して、条例作成の当事者も交えて対談したり、という企画は、今までひとつもなかったんだそうだ。そっちのほうが大問題だ。

結局、今回の一連の騒動は、ただ単にみんな「表現の自由」という言葉を使いたかっただけだったんじゃないのかなぁと思う。チュニジアで政権転覆したあとに、市民のひとりが「これでようやく民主主義万歳って言える」と言っていたけど、こういうことが「表現の自由」ってことなんじゃないのかな? 家でひとり、鬼畜ロリマンガを書いているだけの人が突然逮捕されたら、それは「表現の自由が侵害された」っていう話になる。けれど今回はそういうレベルの話じゃなくて、軸はどちらかというと「現場は萎縮する」とか、そういう自主規制の問題なのではないか。そんなの、自主規制するような出版社からロリマンガ出さなきゃいいだけの話じゃん、というか、この対談を載せている「思想地図β」自体が、その問題は解決可能だと行為で示してるよなぁ、と思った。そういう意味では、この条例ってそんなに大したトピックじゃないと思うんだけれど、どうなんだろう?

ちなみに、こういう条例は、無いに越したことはないと思う。今は、作った人も作家だし、健全に運用されるんだろうけれども、今後は条例の内容だけが一人歩きしていってしまう余地を残していると思うからだ。どういう表現が青少年に有害かを事細かに指定しても問題だろうし、また曖昧にしても問題が発生する。というか、ロリマンガを子どもに見せるかどうかなんて、条例に決められることではなくて、もう少し道徳的な判断の中で、作り手や流通の人たちによって解決されるべきだったんだろうけれども、そういう動きが一切なかったツケがきたということなんだろうな。