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2009.3.4 日常日記

廻り廻って、巡り巡って。

不況だと騒がしい。自分にも自分の周辺にもその火の粉がかかっていて、それを実感してしまったりもするので、ますます宜しくない。新聞は派遣切りだ何だと書き立てる。それだったら派遣切り特集の最後に、「ところで当社では、時代情勢を受けまして、正社員を募集しております」とでも言ってみてほしい。言いっぱなし、書きっぱなしで、どうしていいのか分からない。原因を誰かに求めるのではなく、それでは今、自分が何ができるのかを考えるきっかけや、ヒントがほしい。

いま考えて分かるのは、いまはお金を使うべき時だということだ。貯金がいちばんいけない。僕はいままで貯金をしてきたが、いまこれを少しずつ切り崩すことが、将来の貯金になるのかなあと思っている。ならなかったら、死ぬしかないけれど。たとえば今まで家で飲んでいたお酒を、外で飲んでみる。くだらないチェーン店だとお金の行き先が分からないから、自分のいちばん好きな、価値観の合いそうな個人のお店で飲む。そうしたらきっと、その価値観の合う人は、僕にとって嬉しいお金の使い方をしてくれるはずで、そうして支払われる先も、きっと僕にとって嬉しい。その嬉しいが何回か続くと、いずれかは自分にとっても実りのある何かがあるかもしれない。消費刺激、と一言で言うけれど、行き先を考えた使い方をしたい。いまあらゆるものが淘汰される時なんだとしたら、自分の好きなものは生き残り、嫌いなものは消えるような選択ができる時なんだと置き換えてもいいかもしれない。

それは自分が支払うときの考え方で、支払われる側だと考えると、事はシビアだ。僕はそうしたとき、他を振り払って、あなたのためにということで支払われる何かがあるだろうか。そのための特別な努力をしてきただろうか。そう考えると、自信があるような、無いような、あやふやな感じがする。いろいろ考えても、自分には自分のできることしかできないし、それをやったのならば、あとは待つだけの身分だ。いま直面している事に、正面からぶつかっていくことが、その問題に対する唯一の解決なんだろう。

定額給付金がもうすぐ支払われるそうだが、その賛否は置いておいたとしても、支払われるのなら、これを何に使うかも考えてみたい。給付金の意図を考えれば、これは盛大に使わないといけない。それには額が中途半端な気もするが、10人揃えば10万円強が集まって、それで何かができるのかもしれない。自分の好きなことや、気になることに、そのお金を使いたい。世界の不況も結局は自分の問題で、その解決の糸口を見つけるのも、けっきょくは自分なのかなと考えたりしている。