keisukeoosato.net

2001.12.1 日常日記

ドキュメント課題の講評

「ドキュメンタリー日記」として毎日日記を書きたかったのだけれども、忙しくてそれどころではなかった。約1ヶ月間制作をしたが、無事完成し、今日講評を終えた。

最初、うちの班はみんなしっかりしていたし、撮影も順調に進められていた。しかしその順調さが崩されたのは、中間講評においてであった。予想以上に自分の班の作品のレベルが低く、予想以上に他の班のクオリティが高かったのだ。とりわけ、石彫の学生を取材した班の映像の綺麗さには、ほんとうにたまげた。

なぜうまくいかなかったのか。その原因のひとつは、他の班に比べて、制作する姿が絵にならなかったからだろう。他の班の石彫やら、靴作りやら、テキスタイルやらと、大掛かりな作業に比べて、自分たちの班の対象者は手のひらサイズの照明をケント紙でつくるというものだったので、退屈だったのだ。

さらに、僕たちが伝えたかったのは、制作そのものというよりも、彼の内面的な思考であった。思想を映像化することは難しい。結局インタビューとナレーションとテロップが多くなるという結果になってしまった。

そもそも文字情報だけでは、映像化する意味がない。さらに、制限時間10分のあいだに、彼の思想のどの部分を取り上げるのか・・・・あまりの膨大な情報量に混乱してしまい、結局、あれもこれも取り上げたまとまりのないわけの解からない作品になってしまった。

にっちもさっちも行かず、制作を放棄しようかとも思ったが、構成を一から練り直し、うまく撮れていないカットはできるだけ撮り直すことになった。もともと難しいことをしようとしているのは分かりきっているわけで、だからこそ、最後まであがいてみようということになったのだ。

パソコンのHDDがもう1Gをきっていたので、僕のパソコンを車に乗せて、国分寺に住むMの家に持っていった。泊まり込みで作業するつもりだったので、ふとんや寝袋も持って行った。

毎日のようにMの家で編集作業をつづけた。いろんな可能性を試しながら、どうすればまとまるのかを考えた。自分らの力不足なのか、ほんとうにいい絵がなかった。だから、編集で見せるしか方法はなかった。

最後の3日くらいは完全に泊り込みで作業をした。精神的にも、限界のところまできていたように思う。意地になっていた。単純に、ほかの班に負けたくなかったのである。この程度か、などと思われるのがイヤだったのである。この妙なプライドは、ほかの班員も持っていたようで、とにかく必死だった。音の細かいところまでもこだわったりしていたので、結局制作が終わったのは提出日当日の、朝4時くらいだった。

で、講評である。

教授の評価は、あまりいいとは言えなかった。でも制作を最初から見守っていた講師は、中間講評からの進展について、とても誉めてくれた。

ほかの班もそれぞれよかったが、僕が思ったのは、今回はむしろ、いい絵が撮れなかったことを幸運に思うべきなのかもしれない、ということだった。つまり、すでに絵自体に迫力のある他班は、その迫力のおかげで、どのカットをどれくらいの長さで使い、どこで切るか、そのときの音はどうするのか、ということについてはあまりこだわっているようには見えなかったのだ。

僕たちは、必然的に、そこにこだわらなければならない状況だった。だから、僕たちの作品は、すべてのカット、音の入り、構成に意味や意図があった。そういう意味で、まとまっていたともいえる。

とにかく、もういじりようのない状態だったし、やりきった感があった。

自分たちの稚拙なレベルでも、とにかくやれるだけのことはやった、といえる自信があった。その自信が、なんだか作品に投影されていたようで、完成度という点では秀でていたように思えた。とても厳しい指摘をいくつもいただいたが、すんなり聞き入れることができた。