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2016.6.15 日常日記,映画

FAKE

森達也監督「FAKE」を観ました。ゴーストライター騒動で話題となった佐村河内守氏に密着したドキュメンタリーです。具体的にどんなストーリーだったかというのはあんまり言いたくない感じなんですが、感想を誰かと話したくて仕方がない。話しながら考えをまとめていきたいというか。。

僕はこの作品を見て、誰かを信用するとか、信頼するってのはどういうことなんだろう?ということを強く突きつけられた感じがしました。この問いかけの答えに関しては、案外と「0か100」というのは無いのではないかと思います。例えば100のうち40くらいとか、本当は40くらいだけど人前では70だと言うとか…。

「FAKE」には、いわゆる”証拠”に該当する記録もあるし、ちょっとした会話や表情、しぐさ、雰囲気といった記録もあります。人の印象は、どちらの面もが複雑に折り重なって形作られていて、誰かをどうして信用するのか、またはしないかというのは、そう簡単に決められることではないなぁ、と感じさせられます。でもそれでもなお、思い切って全面的に信用するんだ、という人がいるとすれば、その人に対しては(理由とか関係ないような)愛があるんだろうな、と。柄にも合わず、そんなことを感じさせる映画でした。

もうひとつの観点としては、もし人が嘘をつき続けた場合、その人の中ではそれは真実になっていくのではないか、ということでした。例えば、本当は左利きなのに右利きだと嘘をついて生きてきた人がいるとします。その人は誰かに「あなたは本当は左利きですね?」と問い詰められても「いや、右利きです」と答えるようにして生きてきたし、それを証明するために実際に箸は右手で持ちます。しかし、それが20年も30年も続くと、その人はもうほとんど右利きの人生を歩んでいるので、もはや嘘が嘘でなくなっていく、みたいなことは往々にして起こりうるのかなぁと。これは佐村河内氏が嘘をついているかどうかという話ではなく、その人が本当のことを言っているかどうかというのは、誰にも確かめようがなく、最終的にはその人の中にしか答えがないということです。

いろいろなことを考えさせられます。僕は映画の影響を受けやすいので、さっそく豆乳を飲んでいます。