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2011.5.1

「三陸海岸大津波」という本

三陸海岸大津波 (文春文庫)

お借りしていた吉村昭「三陸海岸大津波」という本。

明治29年、昭和8年に三陸海岸を襲った大地震+大津波と、昭和35年のチリ地震に伴う大津波の記録。今回の3・11地震は、1,200年前の貞観地震以来の大惨事などとテレビで言っているのを聞いたけれど、実際には三陸沖には数十年に一度という周期で、大きな津波に襲われ、その度に壊滅的な被害を受けていることが分かる。宮古、田老、山田、釜石、大船渡、気仙沼、女川などという、今回の震災で聞き慣れた地名がたくさん出てくる。リアス式海岸の独特の地形によって、津波の被害を受けるエリアは、ある程度限定されている。

今回の震災で、日本の歴史は大きく変わった、なんていうことを言う人もいる。たしかにそういう面はあると思うけれど、地震と津波に関しては、明らかに周期的なものだし、また数十年後にも襲来する可能性は高い。一度限りの大惨事ではないことが、この本でよく分かる。日本は列島全体が大地震の危険に覆われているわけで、災害とともに醸成されてきたものが日本の歴史であり、その歴史は変わらず継続されているといったほうが正確だと思う。もし今回のことで歴史が変わるなら、それはピンポイントで原発のことを指しているんだろうなと、自分の中で整理ができた。

この本で興味深かったことは、本書で取り上げられたどの災害のあとも、津波に飲み込まれて被災した土地に、変わらず住み続けた人が多かった、という記述である。今の政府も、復興計画では高台に宅地を作って、そこに皆に移住してもらおうというようなおおまかな構想を発表している。こういう発想は100年前でもあったわけだけれども、住民はそれを拒み、海の近くで生活することを望んだ人が多かったという。その背景には色んな事情があるだろうけれども、やっぱり皆、土地と一緒に暮らしてきたということなんだろう。海のものを食べ、海のもので仕事をして、海を見ながら生活している人たちの、自分の土地への愛着というものは、東京に住んでいる人間には分からないものがある。

でも、少し広げて考えてみると、原発の事故が起こって、日本にいる外国人は母国に帰った人が多かったという。放射能汚染に関してもっとも緊張が高かった時期は、日本人でも、いよいよ日本から出るか? または、東京から脱出するべきか? といった話をよく聞いた。そういうとき、実際に(一時的ではなく)東京から離れられるだろうか。家族や友だちもいて、仕事もあって、目には見えないけれどなんとなく落ち着く町を捨てるのには、それなりの決意が必要だ。その決断をする人はいると思うけれど、住んできた町を捨てたくない人がいるのは当然のことなのだと思う。しかも震災の場合は、それが自分のタイミングではなくて、かなり暴力的なタイミングで迫られてしまう。難しい問題だと思った。