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2004.4.29 日常日記

純正アイドル

朝日新聞にあった阿部和重という作家の「松浦亜弥論」がおもしろかった。



一文目はこう書き出す。



「ハロープロジェクトにおける私の一推しは、ごっちんこと後藤真希であるが、ごっちんが脱けたあとのモーニング娘。の各公演も継続して観ているし、他のユニットにも注目している。そしてもちろん、あややこと松浦亜弥もまた、ハロプロ好きの私にとっては決して無視できない存在だ」



実際こう思っていても、なかなかここまで赤裸々にはなれないだろう。 ハロプロ好きの阿部さんには申し訳ないが、若干キモさを感じる。しかし素直で良い。文学者とは何でも崇高にしてしまうから、まさに文章マジックだ。



松浦亜弥論はこう続いていく。



「・・・あややが唄う姿を目にするたびに私が感受することの1つは、遥か彼方の星でも眺めるような感覚だ」



「まず生身の存在としての松浦亜弥がおり、彼女の演ずる完璧なアイドルでありアニメ的パフォーマーとしてのあややがステージ上に立ち現れることにより、自らの視界が現実の直視と現像の享受とを同時に果たしているかのごとき錯覚を私たち観客は覚えるだろう」



「あややは観客を大抵『みんな』と呼ぶが、時折『あなた』と客席に話しかける。『あなた』と呼びかけられた者は、そのときだけあややを独占して間近に感じ得るものの、自身が『みんな』の一部であることも承知している」



「画面上に宇宙を高速移動する映像が流れるのを目にするうちに、あややの居場所が銀河系外ほどにも遠く思えてしまうのだが、最後に『可能性の道』を歌い上げる彼女の声色はとても身近なものだ」



う〜む、なんかそれらしく聞こえる。なんか反論できない圧倒的さがあるというか。作家という存在を尊敬した瞬間であった。間違いなく素だろう。しかしひょっとしたら、こういうタイプが最もあややをおっかけるのかもしれないとも思う。自分の一番純真な部分を見出し、分析してみたい本能があるんじゃないのか。