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2004.3.26 日常日記

ニュースステーション終わる。

ニュースステーションが今日でおしまい。筑紫哲也が出るとかってスポーツ誌を中心に騒いでいたけど、出なかった。あえてそういうセレモニーは止めたんだろう。久米さんが最後にビールを飲むシーンがすごく良かった。晴れ晴れしかった。僕はニュースステーションをずっと見てきたし、彼の言動やパフォーマンスが好きだった。



いろいろ物議をかもすことが多かった。一番取り上げられたのは「所沢ダイオキシン」報道だったと思うが、それ以外にも細かくやっている。例えばCMに入る前「CMの間にトイレを済ませておいてください」というようなことを言って、スポンサーから相当批判されたということもあった。



ニュースステーションはニュートラルじゃないから嫌い、という人が居る。まあそういう感想を否定するわけじゃないが、僕はニュースにニュートラルを求めるのはおかしいと思っている。特定の人や組織を経由して伝えられる以上、そこに何らかの主観が入るのは自然なことだ。



大学のメディアリテラシーの授業で、「ウサギと亀」の話を、与えられた10枚ほどの絵コマを並び替えてどのように伝えるかを発表する機会があった。誰しも知っている同じストーリーを伝えるだけなのに、人それぞれによってまったく違う並べ方をしていた。なぜその違いが出るかというと、人によって「ウサギと亀」を伝えるときに何に重点を置くかが異なってくるからである。



ニュースステーションはわざと中立じゃないことを提示しているから、逆に見るほうは構えて見ることができる。これは実に健全な状態である。いちばんいけないのは、某TV局の報道番組なんかで、さも私たちは中立です、客観ですという体裁でいながら、決して客観にはなりきれていないという状態である。見るほうも無抵抗になるし。中立や公平という状態は、あるメディアが単体で中立を標榜している状態ではなく、さまざまな主張を持った複数メディアがあって、そのバランスがとれていることを言うのだと僕は思う。