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2006.1.19 日常日記

社会的抹殺

連日のライブドアニュースに、何かひとつの希望とは言わないけれど、面白い切り口の存在がこうしてコテンパンに社会的にじわじわ殺されていく姿に肩を落とし、でもまあ有罪ならそれは償わないとねと思うと信じていたことが裏切られたようでショックを受けます。

証人喚問を見て、「そういえば中学のときにあんなふうに恐喝されている生徒がいたなぁ」と思い出したり、もちろんヒューザーの社長も悪いんでしょうが詰め寄る議員のほうも、そんな脅し口調じゃなくても良いんじゃないのかなぁと思ったり、とにかくテレビを見ては落ち込むのです。

なにかを正しいと思うことは良いのだけれど、自分の立場が正当だと疑いもなく信じきって相手を寄って集って威圧的に攻撃することは、たとえその口実が本当に正当だとしても、僕はやっぱり悲しく思ってしまう。たとえば同じ事をするのでも他に方法があるのではないかなと思います。

トタン屋の方々に呼ばれ経堂のバンチキロウで飲んだのですが、やはり目下の話題はトタン屋から彼らが居なくなってしまうということで、それもやはりショックなわけです。自分の経済状況もありお店に行った回数を考えるとその少なさに自分であきれるのですが、何故か精神的な拠りどころのような感じがあり、シャッター画に関してもあんなに制作に対してうまく距離をとって受け止めてくれる人なんて早々滅多に居なかったわけで、やはり僕にとっては特別な存在だったのです。