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2000.12.12 日常日記

正夢

正夢というものは、本当にあるのだろうか。僕は、ああこれは正夢かなぁと思うような夢を何度か見たことがあるので、まず、そのうちのひとつがどんな夢であったかを書いてみたい。

僕が体験する正夢というのは、確実に未来を予測するような神がかり的なものではなく、割とどうってことのないシーンを、数日後に実際に味わうというものである。これがどうしてデジャヴでないと言えるかというと、僕は起きてからその日の夢の内容を記憶にとどめておく努力をしているので、夢を見てからわりと近いときに現実化が起こると、ああ、これは夢の内容だ、と確信できるというわけだ。

例えばこんな感じである。

去年の受験の結果がでる前、こんな夢を見た。

真夜中、リビングに父と母と自分。父はソファに座っている。自分はストーブのそばに座り身体を暖めている。そこに母がコーンスープを持ってきてくれる。

…(いくつも会話を交わしたあとで)
父「じゃあ、明日 焼肉食べに行こうか。」
自分「なに? 安楽亭にでも行くの?」
父「いや、川崎(駅の近く)においしい焼肉屋があるんだ。会社の連中とよく行くんだよ。そこが非常においしいんだ。」
自分「ふーん。」

僕は数日後、受験に落ち、その日は諸事情により、落ちたことを親に一切連絡せず、深夜の4時すぎに家についたのであった。なにも連絡しなかったため、帰った時も親が起きていた。そうしたら、その後、上の夢の内容がまったく同じ感じで現実化したのである。

僕は、自分で父の会話に相槌を打ちながらも、夢の内容と同じやりとり・シチュエーションであったことに大変驚いていた記憶がある。父は僕が受験が終わってお疲れさんということで焼肉に誘ったのである。母は午前四時に(僕は鷺沼から歩いて家に帰った)ということで、コーンスープを入れてくれたのであった。

だから、焼肉なのか!
だから、コーンスープなのか!!
と、夢の謎が解けて行く感じが不思議だった。

僕が見た正夢というのはそういう感じだった。

夢というのは、不思議な領域である。カール・グスタフ・ユングは「自分」というものを、理性によって意識されている領域である「自我(ego)」と、意識の世界だけでなく無意識の世界も含めた領域である「自己(self)」というものに区別した。もちろん僕達は自我によって自分を認識しているので、無意識領域について、それがナンなのかってことについてはよくわからない。だから、なんか夢には特別な世界があるのかもしれない。ひょっとしたら、夢が現実で、僕達の世界が夢であるということもあり得るわけだ。

例えば親しい人が死ぬ時、その直前にその人の夢を見た、というケースがあると、テレビなんかで言っている。それが預言者ってところまでいくと、どうも信じられないのだが、死にそうな人が一回霊界を見てきたとか、三途の川の手前でばあちゃんが「こっちに来るな」と言ったとか、ポール・マッカートニー作曲の「yesterday」は、夢で彼の父に教えてもらった曲だとか、ああいうのは、あながち嘘とは言いきれないんじゃないのか。

つまり、精神世界のことは、何なんだかよく分からないのだから、何なんだかよく分からないことがあっても、まあ別におかしくはないのではないかと思う。地球には海を隔てて5つの大陸に分かれているのにも関わらず、そのすべての大陸におけるどの文明の初期段階においても、同じようにアニミズム的な思想が流行っていたという。無意識下での世界は、意識の世界とまるで違うところなのかもしれないと思う。