卒業するということ。
昨日、とある用事で、自分の通っていた中学校に行った。中学校は地域でも荒れていることで有名だし、実際荒れていたし、暴力的な方々とお付き合いするのが苦痛な3年間だったことを覚えている。
そんな中学校だったが、昔と今でものすごく変わったなぁと思った点がひとつだけあった。それは、学校に集まる卒業生の数である。確かに僕も卒業してからすぐは割とこまめに学校に行ったし、そのときほかの人たちにも会ったりすることはあったが、しかし、昨日行ったときの卒業生の数たるや、昔の比ではないほど多かった。校門に10人くらい、玄関に10人くらい、ピロティに10人くらい、職員室に居座る6〜7人、職員室を出て廊下でたまっている卒業生5,6人。
僕はそれを見て少し思い出した。
高校を卒業して、とりわけ浪人時代というのは、僕はなかなか高校から離れることはできなかった。ものを考えれば高校の事、友人のこと、教師との確執…いろいろ出てきた。それで大学1年、つまり去年の秋、高校の文化祭に行ったとき、一番お世話になったある先生のところに会いに行ったら、こんなことを言われてしまった。
「きみはまだ、本当の意味で卒業できていないんだ」と。「卒業したんだったら、たぶん今日きみはここには来ていないだろう」と。
僕はがーんとした。それはおそらく、紛れも無い事実を指摘されたのだと思った。自分の存在場所を、まだ高校に求めていた自分に気づかされた。…あのあと一ヶ月くらい考えた。その後いろんなことが自分のなかで整理されてきて、今の自分自身の居所を見つけ出せた頃に、僕はやっと高校を卒業できたのだなぁと思った。
そんなことを、中学校に溜まっているたくさんの卒業生たちを見て思い出していた。彼らもきっと、まだ卒業できていないのではないだろうか、と。見た目は荒れ狂った連中だが、それでも中学校に来て帰ろうとしない姿を見て、なにかとても哀しく切ないものを感じてしまった。「今」というものを肯定的に捉えられないはがゆさとか、苛立ちのようなものが感じられたのだ。