keisukeoosato.net

2015.8.19 日常日記

そういえば美大受験を振り返ると、僕はデザイン系はほとんど全部落ちてしまったから偉そうなことは言えなませんが、たとえば多摩美なら多摩美用の対策をしないといけない。ムサビならムサビに合わせる、みたいなの、今思うと訳が分からなかったなぁと思います。芸大なんかは「魚、お花、釘で色彩構成せよ」みたいな意味不明な課題。予備校では最初から芸大系と私大系に分かれますので、たとえば芸大系が私大系の対策をするのは大変でした。多摩美は手のデッサンばっかり練習します。ムサビはとにかく3時間で仕上げる練習。造形は謎の円とか直線とかの色彩構成。多摩美テキスタイルの人はひたすら花の色面分割やってたような。もちろん今は違うのかもしれません。

ただ、例えば当時の多摩美グラデが受験課題の総評として「最近は色数の多い作品が多い、もっと色を絞って、要素ももっと絞り込んで欲しい」という文章がありました。そうすると、受かりたい受験生はそういうデザインをせざるを得ないと思うのです。その人がそれ以外の指向性を持っていたとしても。色数が増えたら悪いデザインだって、誰が決めたのでしょうか?

でも、そういう構図というのは、大学を出た後でもきっと変わらないんだろうなぁと思います。師匠的なデザイナーの下について、その方が認めてくれるようなデザインをする。そうするとそういう互助会的な組織に入ることができて、そうするとなんらかの賞に選んでくれる可能性がかなり高くなる。賞を取った後は、今度は自分が審査員になって、仲間に賞を与え、今度はその仲間が自分の作品を推奨してくれる。どこかに属したり、何かのスタイルに合わせることが良いとされています。そうなると作風を誰かに委ねることになるから、必然的にパクりと言われても仕方のない作品が生み出されてしまうのかもしれません。でも悪気はなかったのではないでしょうか。評価されるための「対策」をしていただけなのでしょうから。

***