2003.10.10

作品の区切り

作品に区切りを打つのは難しいと思う。
だって、よく言う話だけれども、作品の良し悪しに正解は無いし、ある人がAという正解を提示したとしても、別の人はまったく違うBというものを正解だと言うかもしれない。そう考えると、人の評価なんてある意味どうだっていい気もしてくる。

そんな中で「よし、ここでおしまい」と幕を閉じられるのは、自分が納得できたか、言い換えればやりきったかやりきってないかということに集約される。僕は今日、「条件付き納得」という都合のいい解釈で、自分の作品に区切りを打った。

なにが「条件」だったかというと、それは進級制作という課題の制約である「30分以内」という決まりのことである。30分以内という制約の中で、僕はやれる限りやったはずである。でも、これが40分だったら、違う結果になったかもしれない。そういう「逃げ」を残しておいてある。

僕は、やれる限りやるということを、締切の1分前まで粘ることだと考えていた。しかしそれは受験のときの発想であり、今の自分に適用すべきではないと、考え始めた。僕はなんだか疲れていたし、そういう浪費的発想というか、余裕を無くすようなことは作品にとって害だと思うようになったわけだ。

そういえば、僕はここ何ヶ月か、他人の作品を評価するときに「余裕」という言葉を頻発している気がする。きっと、僕がいま一番大事にしたい言葉なんだろう。他人を批評する言葉は、実は自分を批評する言葉だと、誰かが言っていた。余裕の無い、いっぱいいっぱいな作品ではなく、無理をせず、悠長に、余裕を持って作るということに憧れを抱いているのは間違いない。

そういう気持ちで望んだ第一作の取材対象者が、源次郎だったということは重要だろう。なぜなら、源次郎こそ、「無理をせず、悠長に、余裕を持って」暮らしている人間だからである。(本当の本当のところはどうだか知らないけど…)

「てきとぉに」「どっちでも」「なんとなく」は、源次郎が僕に対して言う言葉ベスト3だったと思う。おかげで僕も、(従来の作品よりは)なんとなく、てきとぉに作れたと思っている。まあ、昨日、今日は若干必死だったが。。。

まあとにかく、終わったことにしよう。でも、ドキュメントの課題提出はもっと先なので、そのときには30分より長い「完成バージョン」を作ることになる。それは、講評で皆さんにぼこぼこに言われたあとに作るんで十分だろう。

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