「A2」
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そして、前回の「A」に続き、「A2」である。
この作品はオウム信者が、サリン事件の後、地域住民とどのようなお付き合いをしているかということを追った内容である。まあほとんどの街で、「殺人者出て行け!」の大合唱。起こした事件の残酷さを考えれば、まあ当然の結果なのかもしれない。
でも、ひとつ例外があった。その街は、オウムに撤退を迫り、施設を監視する地域ボランティア団体があったのだが、長期間監視をしているうちに、オウム信者と仲良くなってしまったのである。からかい合ったり、一緒に写真撮ったり、実際に信者が違う施設に引越する日には、みな別れを惜しんで出迎えに来る始末である。その不思議な光景に、上映会場からも笑いが漏れた。
それを見たとき、ただ外から「出て行け、出て行け」と鬼の形相で迫っていくよりも、先の街のように仲良くなってしまったほうが、彼らの起こす犯罪を抑止できるのではないかと思った。他の事例でも同じ事だと思うが、悪だと思ったものを消してしまえばそれでいいという発想は、根本的な解決には繋がらないのではないか。
極論を言ってしまえば、悪なんてこの世から居なくならないわけで、世の中というのはいい奴とか悪い奴とかかっこいい奴とか不細工な奴なんかがそれぞれ秩序や均衡を保ちながら生き合っている。その上手い具合の生き合いかたを、あの街は実現しているような気がした。
さて、この「A」「A2」とテーマを突き詰めていくと、森監督はオウムを描こうとしている訳では無いのだ、と僕は感じた。それは同監督の「職業欄はエスパー」「放送禁止歌〜唄っているのは誰?規制するのは誰?〜」も同じことである。森監督は、一貫して、物事を鏡のように、ありのままに伝えたいだけなのではないか。そのために、ありのままに伝えていない典型的な例として、「マスメディア」というものをテーマの中心に据えているのではないか? 森監督の作品は、つねに「マスメディアではこう言っている。しかし…」という文法で語られているように思う。しかも彼は、マスメディアに対して敵対しているわけではなく、彼の作品の中でしばしば出現する「会社の方針通りに報道せざるを得ないマスコミ」が心の奥で抱えている叫びの代弁者になろうとしているのではないか?森監督は、そういうことを、「作り手の身体性の刻印や主観の全面的な解放(リーフレットより森監督の言葉)」によって体現しているんだと思う。
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