笑い展
森美術館「笑い展」
古美術から笑顔があるものを含めた「日本美術が笑う展」もセット。でもこれはいらなかった。モチーフが笑ってるだけじゃないか。確かに「日本美術が笑って」いるかもしれないけれど…取り上げるほどユニークなテーマだとは思えなかった。
さて現代美術のユーモア表現を集める「笑い展」。会田誠、小沢剛、木村太陽と、僕の最も好きな日本のアーティストBEST3が勢ぞろい。赤瀬川原平も入れると、BEST4か。やはり木村太陽は輝いていた。28日にオープンする横須賀美術館のオープニング企画展にも、木村太陽は出品するらしい。相変わらず、見逃せません。
なかなか面白い作品が勢ぞろいだったが、特に感銘を受けたのがジョン・ウッド&ポール・ハリソンという人たちの作品群だ。映像を使ったアート作品なのだが、どれも真っ白な室内で行なわれた不思議なアクションを映像に収めている。
とりわけ「ハンドレッドウェイト」という、30セクションからなる映像作品がよかった。これは真っ白な部屋を俯瞰するカメラがあって、その部屋のなかの男が「全く意味の無い行為」を、黙々とやるという映像。
たとえば、部屋の隅にキャスター付きのデスクが置いてある。しばらく静止してから、そのデスクを対角の隅まで移動させると、あらかじめキャスターに塗ってあった青いペンキが地面に軌道を描く。それでおしまい。ほかには、それぞれの壁の中央に、ぎざぎざの板を設置する。しばらく静止してから、棒を壁に擦らせて歩いていくと、ぎざぎざのところだけ「カンカンカン!」と音が鳴る。それだけ。
そういう「全く意味の無い映像」が、延々30バージョン繰り返される。これが一番おもしろかった。何度も見れる気がする。
美術手帖4月号の「笑い展」レビューでは、今回の展覧会を笑えるか否かという視点で語っていて、その文脈の中で「デザイン化されたアート作品は良くない。日本の漫才も、デザインされていない面白さがある」みたいなことを言っていたが、僕にしてみれば全く的外れな意見に思った。笑いとデザインの関係性は強固だと僕は思う。漫才だって、あれは漫才というデザインに乗ってやっている。だから、どの漫才も基本的に同じスタイルなのではあるまいか? デザインと言うのは、単にシステムなのである。あるいは、システムを分かりやすく説明するツールなのである。
笑いというのは、たぶん、なにかの規則なり、シチュエーションなり、システムの上に立っていることがスタートなのではないか、と思う。そして、それを壊すなり、改変するというステップである。確かにデザイン性がイヤミなふうに出てしまい、それで笑えるものが笑えなくなるというのは分かる。しかしデザインされていないところで笑いを取ろうとすると、鑑賞者は前提が分からないだけに何が面白いのか分からない。「俺って面白くない?」という自我だけが目立ってしまい、しらけてしまう。ロシア人の映像作家が典型的なこの状態だった。
その意味で、ジョンウッド&ポールハリソンの作品は興味深かった。デザイン性を突き詰めると、結局シンプルイズベストということになる。彼は、真っ白な部屋を俯瞰するという行為によって、「文化・シチュエーション・システムといったあらゆる要素を無くすデザイン」を施したのである。だからその先の無意味な行為がますます無意味に見える。
いつもお世話になっているコメディライターの須田泰成さんは、イギリスでのコメディの位置づけについて、「それはBECKが格好良いというのと同じ」と言っていた。ジョンウッド&ポールハリソンの作品は、おもしろく、そして格好良かった。
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