冒険王 横尾忠則
先日、世田谷美術館の「冒険王・横尾忠則」展に行った。
横尾忠則は、僕が尊敬するアーティストのひとり。とりわけ、僕は彼のグラフィックデザインに強い影響を受けていると思う。彼の奇妙でキャッチーで、エキセントリックで、しかしなぜか伝統的な雰囲気も感じさせる独特の作風に、僕はものすごく憧れる。あれくらい強い作品を作れるのなら作ってみたいと思う。彼の自伝のなかで、「どうしたら横尾忠則のようになれますか?」という質問に、彼は「私(横尾忠則)になろうとするのではなく、自分自身であろうとするべきだ」というようなことが書いてあって、それは(当たり前のことを言っているようだけれども)僕の中ですごく力強い言葉だった。
今回の展覧会だが、60年代のグラフィックデザイン作品から、現在の絵画作品まで約700点も展示されている。展示数の多さもさることながら、一点一点の強烈さというか個性が凄まじい。横尾忠則の作品は、その絵を見て倒れてしまう人がいるという話を聞いた事があるが、それも、彼の作品を目の前にすると分かる気がした。生気が吸い取られる感じというか。とりわけ「Y字路」などの最近の絵画作品に、その傾向は顕著である。あの神聖な感覚を言葉にするのは難しい。見応えがあったが、見終わった後は走った後のようにどっぷりと疲れてしまった。
過去の作品では、彼は信じられないほど絵が上手い。山口晃もびっくりなあの画力が、すべての表現力の核なのだなと思わされる。それと、どの作品にも散見されるユーモア感覚と、構図とモチーフ選びの大胆さ。彼は小さい頃から模写が得意だったというが、アンリ・ルソーの絵画の模写(オマージュといってもいいが)にしても、ほんの少しモチーフを変化させたり、ユニークないたずらを施すだけで、作品は一気に「横尾色」に染められる。彼がどういうところから、どのように着想しているのか、とても気になるところだ。彼は草間彌生的な魔術師的な雰囲気もあるので、とりわけどのように「ユーモア感覚」というものを捉えているのか気になっていたが(つまり作為的か、天然かという部分)、横尾忠則のWEB日記を読むと、「アンリ・ルソーは笑えますよ」と書いてあって、よかった作為的なんだ、と思った。(あれが天然だったら怖い)
グラフィックデザインにしても、彼のような個性的な作品でビジネスが成り立っているというのは、奇跡に近いようにも感じた。デザインというのは規制との戦いなんだと思う。クライアントの存在は無視できない。そして、彼らは安易に表現という領域に手を出してくるだろう。そこでは、表現上の妥協というものとも戦わなければならない。横尾忠則の作品にはいつの時代のものも、そうした規制や妥協との戦いみたいなものを感じる(そして最終的に横尾忠則が勝っている)。そこに彼の表現の、とてつもなく強烈な芯の強さを感じる。それが彼の魅力なのかなとも思う。
画集「ポスタア藝術」のなかで、横尾忠則はこう書いていた。
公共のメディアを借りながら、ぼくはデザインにおいて「私」の表現がどれだけ可能かということに挑戦してみようと考えた。そして「私」の表現を通して、もし社会と普遍的な関係を結ぶことができれば、ぼくは大衆の無意識と同化できる歓びを得ることができるかもしれないと思ったのである。
横尾忠則の作品は、デザインという枠組みを超えて、宗教画のように見えることがある。それはやはり、「『私』の表現」の強さが、行くところまで行った結果なのかなと思う。各作品に込められる「生命力」みたいなものの大きさが凄かった。
P.S.
J-WAVEの「JAM THE WORLD」という番組のクイズが、たまたま一瞬で分かって、すばやく答えを送ったら、ナビゲーターが「今日のプレゼント当選者は、東京都杉並区のラジオネームごろりさんです!」だって。そうこともあるんだね。その日の日経平均終値と同じ金額の現金(1万3千円くらい?)を奨学金としてプレゼントされることになった。こういう「ミニ小遣い」は嬉しい。お寿司でも食べようかな。







