UNKO/出産
制作のことを、なにかに例えたくなる。僕の場合は、たいてい、”ウンコ”か”出産”だ。制作とはウンコであり、あるいは出産である。ただし出産というと、僕は女性でないし、さらに結婚もしていないので、そう軽々しくは例えに使えない。かといってウンコというのは真理を突いているのだが、如何せん言葉が汚いので、社会的に使えるシーンは限られる。
ただし、”ウンコ”と”出産”というのは、どちらも制作についての表現なのだが、その性質はかなり違う。ウンコといった場合、制作にまつわる日常性について言っている。さらに、何かを食べなければ何も出せないという、入力と出力のバランスのことも言っている。また、人によっては「ある間隔でウンコをしなければ死ぬ」という、本能的な制作欲求についてもカバーできる表現である。
一方で”出産”と言った場合は、その作品についての思い入れ、愛情について言っている。産みの苦しみ、という言葉があるが、制作においてもしばしば用いられる表現だ。作品を産み出すのはとても苦労する。そうして産まれた作品は自分の子どもと同じだし、他の人が何と言おうが自分の子どもが一番かわいい。
先日、ダメ工房員よっつの新作映画の制作を手伝わせてもらったのだが、まさに壮大な出産シーンを見ているような気分だった。よっつはウンウンといきみながらも、最終的には元気な子どもを産んだ。(そういえば偶然か、撮影場所は病院だった)今回はかなりプロフェッショナルな現場だったので、正直僕がきちんと手伝えたのかは自信がない。いまはへその緒を切っているところだろうか、完成が楽しみである。
他人の出産を目の前で見ると、自分のほうも体が変わってくる感じがする。ここ数ヶ月、たいへん難産だった東京都K区のポスターも、ここ2日で一気に産み落とすことができた。正直、なんどもあきらめかけたが、やはりよっつの撮影に大きな刺激を受けたんだと思う。
5、6月で、いままでやっていた仕事の多くが終わる。雑誌『KING』の連載は今月号で終了したし、K区のポスターも来週のプレゼンを越せば楽になる。その他もろもろも6月でケリがつくだろう。ウンコに話を戻すと、今年に入ってまともにウンコをしていない。便秘気味である。便秘がつづくと、お腹が張って、痛くなる。イライラする。夏になれば、たっぷり脱糞しないといけないし、それだけのウンコが溜まっている。







