終わりは始まり
原美術館で今日から開催されている、米田知子「終わりは始まり」展に行ってきた。いつもお世話になっているコメディライターの須田さんが米田さんのご友人ということで、前日のレセプションに同伴させてもらうことができた。
米田知子さんは写真家で、有名な「シーン」という作品群は、歴史の重要なシーンの舞台となった場所の”今の風景”を撮影するというもの。たとえば今回は展示されていないが、綺麗な湖の写真がある。しかしこの場所は、第二次世界大戦時に爆弾が爆発した場所だった。長い年月を経て、くぼみに水がたまり、それが写真に写される綺麗な湖となった。やはり”今の風景”というところがポイントで、そこには戦争の跡形など微塵も感じられない。しかしそこがかつて戦場だったというキャプションを見て、目の前の綺麗な景色の裏側を垣間見る。彼女の作品はこんな感じで、写された風景と、その歴史的背景の情報とが、巧みに絡み合った作品が多い。3年前の横浜トリエンナーレで展示されていた、震災復興後の神戸を写した「震災から10年」シリーズはとても心に残った。今回はノルマンディ上陸作戦の舞台となった海岸、満州事変勃発のきっかけとなる線路、サラエボの地雷源、サイパン島在留邦人玉砕があった崖につづく道、などなどモチーフを並べるだけでも興味深い。
彼女の作品の素晴らしさは、やはり写真があくまでも「想像するためのステージ」になっていること。新作の「パラレルライフ―ゾルゲを中心とする国際諜報団密会場所」という作品群では、太平洋戦争時に、ゾルゲや日本人スパイたちが密会に用いた場所を連作で写していく。誰もいない東京宝塚劇場、上野動物園、平安神宮、神戸港、帝国ホテルetc…と日本の名所がずらりと並ぶ。9.5cm四方というスケール、白黒の淡い質感というのも、いかにも「密会」という雰囲気を醸し出す。そしていろんなことを想像させてくれる。ゾルゲはここで、どんなふうに待ち合わせていたんだろう。まわりの反応は? 何を話していたんだろう。歴史の大きな動きの始まりは、ひょっとしたらこういう、何でもない場所の、ひそひそとした会話からだったんだろうな…。
そう考えだすと、目の前の「ただの風景写真」が、どんどん動き出していくような気がしてくる。目の前の静止画が、鑑賞者の想像を動力源に、生きた風景に変化していくのだ。その生きた風景は、過去や歴史、戦争、貧困といった悲しいけれども遠い、遠い出来事を、より近くに、体感的に感じさせてくれる。断絶されたと思い込んでいる過去と現実に、一本の道を敷いてくれる。そして、そこから色んなことを考えさせられる。鑑賞者にそういう自由な想像をさせるために、彼女の写真はより控えめに、より謙虚に、より普通に、そして、より真正面から撮られている。そしてそれらが「普通の風景」であればあるほど、背景となる歴史的事実とのギャップは広がり、僕らは驚きを深めるのだろう。
見終わった後、簡単にご挨拶。作品の静謐な感じとは違って、米田さんはとても明るく、可愛らしい方だった。







